鉄道と音楽の日々

アクセスカウンタ

zoom RSS 福王神社のこと

<<   作成日時 : 2017/05/04 19:13   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

私は滋賀県大津市の生まれであるが、現在は千葉県袖ケ浦市に住んでいる。わりと最近知ったのであるが、このふたつの土地に共通すると思われる人物がいる。それが福王神社に祀られている福王である。

大津と言えば天智天皇が大津京を開いた場所として知られるが、天智天皇が亡くなった後息子の大友皇子(おおとものみこ)と弟の大海人皇子(おおあまのみこ)の間で後継者争いが起こった、壬申(じんしん)の乱である。大友皇子は敗れて山前(やまさき)というところで自害したとされる。

大友皇子は即位したかどうか長年の間不明とされてきたが、明治時代になって即位していたと認められ、弘文天皇のおくり名が与えられた。大津市役所のすぐ裏に弘文天皇陵がひっそりとたたずんでいる。そこは私の生まれた家から歩いて10分くらいのところにあり、子供時代の遊びのテリトリー内であった。

ところで山前で自害したのは実は大友皇子の影武者であって、本物の大友皇子は房総半島に逃れたという伝説がある。これについてはまたあらためて書きたいと思うが、それとは全く別の伝説が残っている。それが福王の伝説である。

壬申の乱の後、大友皇子の息子である福王が家臣とともに房総半島に逃れ、現在の袖ヶ浦市にある「おふごの森」というところに数年間住んでいたとの伝説だ。福王が亡くなった後それを祀ったのが福王神社の始まりとされる。その後江戸時代になって福王神社は800mほど移動して現在の位置になった。

古代の伝説なのでどこまでが本当のことかわからないけれど、ロマンを感じさせる話である。とここまで書いてきてふと気づいたのだが、福王は房総に逃れるまでは本当に大津京に住んでいたのだろうか。

福王に関する情報が少なくてその点ははっきりしなかった。しかし大友皇子の息子であった福王はきっと大津京に住んでいたはずだと信じたい。そして私と同じようにはるばる袖ヶ浦までやってきたのだ(と思う)。

本日福王神社に行ってみた。このあたりは福王台という団地になっているが、むろん福王台とは福王神社から取られた名前である。旧道から急な階段を登った崖の上に小さな社殿がある。知らなければただの神社として通り過ぎてしまうだろう。

大津と袖ヶ浦、全く関係ないと思っていたふたつの土地がこのように結ばれているのも何かの縁であろうと感じる。

写真は福王神社(2017年5月4日撮影)。

画像

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
福王神社のこと 鉄道と音楽の日々/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる